大晦日もまじか。年明けが近づいてきました。このころになるといつも思い出すのが成人式に着た娘の着物のこと。
実はこの着物、私たちの家に母が残していった母の嫁入り道具の一つ、桐のタンスの中で眠っていました。わけあって私の両親は一時的に私たちの家に住んでいました。両親の我が家への引っ越し時に運び込まれた二さおの桐のタンス。我が家の雰囲気には全くそぐわないそのタンスの中を覗いたこともありませんでした。中に眠る着物を着ている母の姿を見たこともなく、タンスの中身が果たして無事保存されているかも確認されないまま十数年が経ちました。
娘が二十歳を迎える頃のことです。成人式の着物をどうしようか、という話になりました。娘と私とでは身長が10センチ以上違い、私の成人式で使った物は娘にはちょっと大きすぎます。私の着物は柄も大柄で全然似合わないね、と言いながらふと考えました。母のタンスに何か眠っていないだろうか、と。なぜなら娘の身長は母とほとんど一緒だったからです。
ワクワクしながらタンスを開くと、見たこともない着物が沢山しまってあり、なんとそこに一枚素敵な晴れ着が!白地に古風な花柄のちりばめられた逸品がしまってありました。しかもその着物の胸にあしらわれた大きな赤い菊の模様を私はどこかで見たような気がしたのです。どこだろう?
一体何故私は母が着ているところを見たこともないのにこの着物を知っているのだろう???しばらく考えました。そして、、、、あ!!!
この柄はもしかしたら母の嫁入り衣装では?階下へ駆け下り母のアルバムを開いてみると、若き日の母はなんとその晴れ着を着て挙式会場での写真の中でうつむきかげんに微笑んでいました。
ああ、この着物は娘に着てほしいよ、と呟きながらこのタンスに眠っていたのだ、と思うと母と娘との絆を感じ、娘に着物を見せました。無論娘はその着物を断然気に入り、成人式には私が着付けて娘の晴れ姿となりました。
前置きが長くなりましたが、実は、着物を着付けるたび、フェルデンクライスとの共通点を感じるのです。
まずは腰ひも。着崩れないようにと全ての紐を強く締めてしまうと着ている人は自由に動けなくなります。強く締めるのは腰ひもだけ。合わせが崩れないよう特殊なベルトで重ね合わせ、あとの紐は軽く締めます。
フェルデンも着物も腰が要。私は着物を着つけるたび腰を要に安定感を促すフェルデンクライスを思い出します。さらにフェルデンを感じるのは帯を締める瞬間。着る人の人差し指を帯の上部に入れてもらい、下方を上より強く締めます。こうすることで、呼吸が楽に入るだけでなく人の動きを司る腰だけが締まってくるのです。
そしてフェルデンクライスを一番感じるのは、この帯を締めた後の背骨。背骨にはS字のカーブがあることを皆さんご存じでしょうが、筋肉に力が入るとこのカーブがきつくなってしまうのです。このカーブが一番きつくなるところを帯で締めるので着物を着ていると窮屈なようで腰が案外楽なのです。
そして帯幅は丁度背骨のカーブの一番きつい胸椎下部から腰椎上部にかけて。着物の帯幅が広くなり始めたのは江戸時代、歌舞伎の流行で華やかに見えるようにこうなったと聞いています。これは体の構造を考えたうえでの変化とはおもえませんが、昔人はこのあたりを締めると体が楽だということを感じていたに違いありません。
久しぶりの私の着付けが娘にとって理想的であったかどうかはわかりません。ですが、娘の晴れの日を母と私と二人三脚で応援できたことをとてもうれしく思う娘の成人式でした。