フェルデンクライスを始めたばかりの方からよく、この動作で良いのでしょうか、という質問を受けます。フェルデンクライスは教師が動きの手本を示さないメソッド。こんな疑問をお持ちになられて当然のことと思います。
私がスイスでリハビリと称してフェルデンクライスのレッスンを受けていたころ、私のリハビリ師さんも一切お手本を示してくださいませんでした。先生の手本のあるものばかりを習ってきた私は初めのうち不思議に思いましたが、何もお聞きしませんでした。何故なら怪我を治したい気持ちで一杯だったからです。こんな動きで良いのかしらという疑問すら持つことなく夢中で動いていました。中には意図から異なる動きもあったことでしょう。でもリハビリ師さんは何も言いませんでした。ですから私は聞き取った言葉から私が想像する動きを自由気ままに楽しむことが出来たのです。これ以上の集中はない、と思われるほどの貴重な時間でした。
教師養成に入ってからの私は、教師になるのだから正しい動きを身に付けようという気持ちに駆られるようになりました。周囲を見て動きを確かめたいと思う自分と自分の動きだけに集中したいと思う自分とが戦ってしまうこともありました。養成期間中ある老人ホームで暫くレッスンをさせて頂く機会に恵まれました。その時に痛感したことは皆さん手本がある教育を受けていらした世代なのだ、ということ。私が手本を示さず口で動きを説明しても、どなたも動きを始めるということがありませんでした。仕方なく私なりの動きをお見せすると、皆さん私を一生懸命にご覧になって同じ動きをしようとされたのです。
私も一斉教育を受けてきた世代。老人ホームの皆さんのお気持ちが痛いほどわかり、フェルデンのきまりついてを何もお話しすることなく手本をやりながら動き続けました。ですからこのホームの方々はフェルデンクライスは手本のあるメソッドという認識でいらっしゃることと思います。
そんな頃、(まだ養成中でした)たまたま他の作業で前へ出て皆さんの動きを見させていただく機会に恵まれたのです。その際私が驚いたことは、一つの動きの指示に対して全員が違う動きをしていたということでした。全員が全く違う部類の動きをしていたということではなく、一つの動きに対しての一人一人体の好む動きの傾向が違っていたということです。50人ほどの生徒さんがいらっしゃったので、本当にたくさんの動きを見ることが出来たのです。そしてその時私の中に安堵の念が起きたのでした。教師養成に入ってから染みついた正しい動きを身に付けようという気持ちから解放されるのを感じたからです。
今自分の教室を始めて、何人かの生徒さんを教えていますが、皆さん動きは様々。そして動きを正そうとされる方はあまりいらっしゃいません。動きに自信のない方はどうぞ起き上がって周囲をご覧ください、とお話すると時々起きて周りの方の動きを確かめられる方はいらっしゃいますが・・・。
骨格標本をご覧になられたことがある方が多いと思います。ですがあの骨格と同じ形の体を持っている方は一人としていません。100人いれば100通りの骨格、体形があります。そんな多様性に富んだ体をお持ちの方々に一つの動きを指示しても、同じ動きが生まれるはずがありません。ですから皆さんご自身がこうと思った動きをしていただければ良いのだと思います。私はレッスンの意図とはあまりにかけ離れた動きをしている方にだけこういう選択肢もあります、とお話しするように心がけています。
ですからどうぞ戸惑うことなく安心して動いていただきたいな、と思っています。