スイスに住んでいた時、もう一生ここに住むことはないだろうから思うことは何でもやっておこうと大概の事は体験してきました。怪我をしていても車椅子や松葉づえを駆使して旅行に出かけたこともあります。ですがやり残してしまったことが二つあります。
一つはサグラダファミリアを見に行くこと。ホテルも飛行機も予約まで取ったのに怪我の予後が悪くて行けなかったのです。
そして二つ目は暗いレストランに行くこと。我が家の二軒先に住むアルゼンチン人の奥様が言うには私たちの住む市内に中が真っ暗なレストランがあり、そこでは何も見えない中で食事と会話をするのだ、と。盲目の方の気持ちを理解することが主なる目的なのだ。というのです。私は自分がそこへいったらどんな気持ちになるのだろうかと大変興味を持ち、彼女と行く約束までしていました。ですが互いの予定が合わないまま日が経ってしまったのです。
本帰国後、サグラダファミリアはともかくとしてその暗いレストランに行けなかったことが心残りで、時折思い出してはそこにいる自分を想像したりしていました。そんなある時娘がこんなものがある、家族で行ってみないか、とある物を提案してきたのです。
それは、dialog in the dark という催し。真っ暗な部屋の中で色々な活動をするらしいのですが、それ以上のことはよくわかりません。しかも、結構なお値段・・・。申し込むのに少し勇気がいりましたが、興味の方が先行し家族四人で出かけることに決めました。
当日、会場に到着すると予約時間が同じ者同士グループが組まれ、全員にニックネームを付けるという作業で活動が始まりました。私たち夫婦以外はみな若者。私たちはお父さん、お母さん、と呼んでもらうことになりさっそく活動に入ります。
まず目を慣らすために薄暗い部屋に入ります。案内人は視聴覚障害のある若い女性。彼女は既にニックネームを持っていて、皆にその名で呼んで欲しいとの申し出があり、私たちと一緒に部屋に入ります。
次の部屋は全く明かりのない真っ暗な部屋。中に入った途端、何も見えないという不安と圧迫感が私を襲います。しかし案内人の女性は自信たっぷりに案内を始めます。最初の部屋には遊具がいくつかあり、見えない中ブランコやシーソーに乗り童心に帰って子供の遊びを楽しみます。
ですが私たちには何も見えないので互いに教え合い譲り合い、時には我慢し、時には助け合いながらひと時を過ごしたのでした。
次の部屋では暗闇の中案内人と同じ視聴覚障害者のバーテンダーが待っていてくれ、お茶とお菓子を運んできます。見えないので、皆で飲み物を手渡しし、お菓子を回しあい、これは何だろうと香りをかぎながら推測し、分け合い、楽しいひと時を過ごしました。
この時気づいたのは、目が見える普段の生活で感じるよりも感覚が研ぎ澄まされていたということ。お菓子から香ってくる香りを普段よりも鋭く感じていたということ。そしてそこにいる仲間たちとの愛情を強く感じたこと。視聴覚障害のスタッフたちがとても頼もしく感じられたこと。(後に夫はこれを職場のティームビルディングの研修に取り入れたそうです。)
最後の部屋は目を慣らすために又薄暗い部屋。皆でろうそくの灯をともして感想を語り合います。まるでキャンプファイヤーの終わった後、テントの外で残り火を囲み仲間と語り合っているかのような暖かい時間を若者たちと分かち合いました。スイスのレストランではきっと又違った経験が生まれたのだろうと思います。そこではどんな体験があったかなあと今でも思います。
実はフェルデンクライスのレッスンでもこんなことを毎回経験しています。
目を閉じている方もあれば目を開いている方もあるレッスンの出だし。しかしレッスンが進むにつれ目を閉じる方が多くなってきます。なぜなら、皆さん感じることに集中しようとされているからです。そう、丁度真っ暗な部屋でお菓子を分け合ったときに持っていたような感覚が欲しくなってくるのです。感じるという感覚に集中しようとすると目から入る情報が邪魔になってしまうことがあります。
人は感覚情報の80パーセントを視覚から得て暮らしているのだそうです。80パーセントもの情報を抱えながらレッスンへの感覚を研ぎ澄ませることは容易ではありません。情報過多の現代社会、たまには目を閉じて情報の大部分を遮断し、他の器官に目を向ける時間があっても良いのかもしれませんね。