フェルデンクライスメソッド

多すぎる情報の中で

多すぎる情報の中で

日本の電車の駅には音が多すぎるな、と良く思います。視聴覚障害者の方の為や、親切な案内を目指す為なのかもしれません。しかし滅多に都心に出ることがない私は山手線への乗り換えで駅のホームに立つと音が多すぎてクタクタになってしまいます。

スイスに居た時の話です。普段はトラムという路面電車に乗って少し時間をかけてゆっくりと風景を眺めながら都心に出るのですが、時間がない時には電車を使うことがたまにありました。ホームは特に入り口もなく道路から段差もなく入ることが出来ます。改札もないので、乗車する人々は自分で切符を改札の機械に入れ穴を開けて電車に乗ります。

スイスでは電車が時間通り正確にやってきます。ですが、何の前触れもありません。
ただやってきて駅に止まって扉を開け、人が乗ったら扉が閉まりすうっと出ていきます。最初のうち全く音のないこの駅での一連の出来事に戸惑いを感じました。日本に居れば電車が来る時にまず案内があり、発車する時に音楽が鳴り、と色々な音の中で乗車することに慣れてしまっていたからです。ですが、スイスに住み、音のない発車に慣れてくると、電車に乗るという行為は各自の責任において時間管理をするようにという教訓のように思えてきました。
この音のないホームが心地よくなってしまい、日本に一時帰国したときに一番感じたのは駅の騒々しさだったのです。

人はこんな音の多い情報過多な中にいるとどうなるのでしょうか。色々な事に注意しなければならなくなり、当然神経が興奮してくるはずです。神経が興奮すれば血圧が上がったりイライラしたり興奮したり、と人が活動的になる時に起きることが生じてきます。これを続けるのは人にとってストレス。時には静かな中に身を置いて神経を休ませなければなりません。

日本より人口密度の低いスイスの散歩道では人とすれ違うことが殆どありませんでした。初めは寂しい気がしましたが、慣れてくると他人とのかかわりのない中で歩くことに自由を感じるようになりとても心地が良かったのです。帰国後こんな散歩道を探して歩き回りましたが、どこへ行っても人、人、人。他人とすれ違わない道はとうとう見つかりませんでした。あーあ、とため息をつきながら歩いたことを今でも覚えています。ですが、帰国して十数年が経った今となってはそれにも慣れっこ。人がいないと寂しい、とか危ない等と思うようになりました。

今では神経が興奮したら鎮めて、又興奮したら鎮めて、という日々を繰り返しています。もちろん私の場合一番早く神経を鎮めてくれる方法はフェルデンクライスです。ん?体が固まっているな、疲れているな、と感じた時には必ず床に敷きっぱなしのフェルデンクライスマットの上に横になりお気に入りのレッスンを幾つか組み合わせて体に動きを与えてあげ立ち上がります。こんなことを毎日毎日繰り返しながら日々何とか無事にやり過ごしています。