フェルデンクライスメソッド

フェルデンクライスのサバイバルな応用(入院1)

フェルデンクライスのサバイバルな応用(入院1)

私がここでこんな出来事をお話しすることになろうとは・・・夢にも思っていませんでした。
しかもそれはほんの一瞬の出来事だったのです。ですが私にはあんなにたくさんの事を考え、感じた瞬間は今までにありませんでした。それは7月中旬のこと。すでにもうかなりの暑さになっていたそのころ、エアコンの苦手な娘と私はこれ以上自分らの寝室で眠るのは危険だと、地下室で寝ていたのです。

そんなある朝。いつもどうりに目覚めた私は、居間に上がるために自分の所有物を取ろうと右に手を伸ばしたのです。体と手はそちらの方へ向かっていきます。なのに、脳から出た右足をそちらに、という指令が足に届いていない不思議な感覚がありました。そういえば最近足がもつれたり、自分がまっすぐに立っているつもりなのにずれがあってふらついたりということが多かったのです。あるいはその一瞬気を失ったのかもしれません。自分の体がまるで一本の棒のように右の床に倒れて行ったのです。
その時、私の体にはどこにも倒れていく自分を守るべく動いている部位はありませんでした。ということは・・・、当然右側の一番飛び出している所が強く床に打ち付けられるはず。次の瞬間、想像通り右大転子部が床に当たり、当たった大転子部は体の中に深く深くめり込んでゆきました。丁度股関節を揉む腕の良いマッサージ師の肘が大転子に食い込んでいくかのように。そして信じられないくらいの凄まじい痛みが私を襲い、気を失う途中だったかもしれない私の意識は激しく揺さぶられたのです。

いたいいたいいたい!いたいいたいいたい!私の大きな絶叫に隣室で寝ていた娘が飛び起き私を助けに飛んできました。有難い!!出来たら娘の肩を借りて居間へと上がりたかったのです。ですがあまりの痛さに声を上げるばかりで微動だに出来ません。主人を呼んで欲しいと頼み私はただ倒れた場所にそのまま寝ころんでいました。

主人もやってきて私を動かそうとしましたが、その度聞かれる私の絶叫にこれはただごとではない、と救急車の手配をすることに・・・。人の為に救急車に何度か乗ったことはありましたが、自分の災難で乗るのは初めてのこと。平素なら恥ずかしいから止めて!と叫ぶのですが、この日は救急隊員に助けに来てほしいと心から願う自分がいたのでした。

ピーポーピーポーのサイレンが遠くにこだまします。近づいてくるとトーンの変わる聴きなれたあのサイレンの音。ああ私の為に来てくれたのだという安堵感。そして私のいるこの地下室から私の体は上がるのだろうか、という一抹の不安。動かされたら痛いだろうなあ、という恐怖感、沢山の複雑な感情が湧いては消えていきました。

主人の案内で、外階段から地下室に降りてきた救急隊員たち。どこが痛いんですか?という問いに私は改めて、どこが痛いんだろう?と考えました。大転子を打ったのだから、そのあたりが痛むはずです。でも、ここという明らかな場所は見つかりません。え?どうして?もしかして、救急車を呼んでしまったけれど大した怪我をしていないのではないかしらと、今度はそんな不安が私を襲います。「わからない!この辺!」私はこの転び方なら怪我をするであろう所を手で押さえながら、いったい私はどこを怪我したのだろう、いや本当に怪我をしているのだろうか、と焦りのような気持ちも入り混じりながら得体のしれない痛みと戦っていたのでした。そしてこの痛みと戦うためにフェルデンクライスがどう役に立つだろうかと気を回すことすらできない自分がいたのでした。