あの日々をなんと言い表したらよいでしょう・・・。普段の生活を人並みと呼ぶならば私的に人並みと呼べない生活、と言えば良いでしょうか。股関節を折るということは寝たきりを余儀なくされるからです。世によく言う寝たきりがどんなことなのか、私はそれまで想像でしか知らなかったのです。思えば私は親の介護をほとんどしたことがありませんでした。というのも、主人の両親も私の両親も全員が突然亡くなっていたからです。
前日まで話せていた人との突然の別れはショックでしたが長い介護がなかったということは幸せな事だったのかも知れません。
寝たきりになって一番感じたのは突然物が見えにくくなるということ。立って見ていた半分も見えなくなってしまいましたから。必要最低限の生活用品をベッドわきのテーブルに並べ、ベッドの両側に立てられた転落防止の柵の間から見える必需品に手を伸ばします。手が届かなければまずは諦め、人を呼びます。手が届いて使ったものを元に戻すときには置いてあった場所に記憶通りに戻そうとしますが、失敗すればそのあたりの物が全て床に落ちてしまい、何が落ちたのかもわからないまま人が来るのを待ち、何か落ちてませんか?と聞いて拾ってもらいます。フェルデンクライスのレッスンで仰向けになる時、こんな事は感じていなかったなあ、と思い起こします。
寝たきりになって一番つらかったのは食事と排せつを寝たきりでしなければならなかったこと。食事はスプーンで。ご飯はおにぎり。むせないよう痛みが許すほんの少しだけベッドを起こして口に運びます。食事の内容物は当然見えません。生きるために。生きて手術を受けるために必要な行為を今自分はやっているのだ、とひたすら食事を口に運ぶのでした。腰も上げられないのだから排せつは当然おむつ。初体験でした。しかし、寝たままで排せつをするという行為は当然やりがたく、相当苦労しました。その後の事はご想像にお任せ、です。
寝たきりになって次に辛かった事。それは痛いから寝たきりになっているのに寝返りを打たなければいけなかったこと。寝返りを打てなければ当たっているところは褥瘡になってしまいます。数時間おきに看護師さんが二人組できてくださり、ぐいっと体の向きを変え、背中に抱き枕を差し込んでくれます。この、ぐい、が痛いのです・・。
真夜中にもこの体位変換は続きます。やってくださる方々には感謝しかありませんが、私にとっては出来たら避けたい瞬間でした。当然寝不足が積もり積もって行きました。
寝たきりになって一番やりたいと思ったこと。それは、流水で手を洗うこと。え、こんな小さなことを?と思われるかもしれませんが流水で手を洗わないと段々手はべたついてくるのです。ペットボトルに二本水を汲んでもらい、一本は飲むよう、二本目はお腹の上にうがい受けを置いておき、手に水を掛けて流水を掛けたつもりになっていましたが蛇口の前に立ってふんだんに水を使っていた自分が懐かしくてなりませんでした。
寝たきりになって一番重宝した物。それは吸い飲み。飲む様に汲んでもらったペットボトルの水をお腹の上で吸い飲みに移し、チューっと水を吸い込みます。あらあ、これ、こんなに便利なものだったのねえ、とありがたく使わせて頂きました。
この生活の中にフェルデンを取り入れられるでしょうか。何回も考えました。下半身を使ったレッスンをするのはとても無理そうです。でも上半身のレッスンには沢山バリエーションが考えられました。腕を上げる、とか腕を斜めに上げる、とか顔を後ろに向け腕を斜めに上げるとか。顔のレッスン。目のレッスン、呼吸のレッスン。この時の私は寝たきりだったけれど、上半身はとても柔らかかったのです。色々な方向に伸ばさなければなりませんでしたから。それも普段より長ーく伸ばさなければなりませんでしたから、私の腕の長さはこの期間普段よりも長くなっていたのではないかと自負しています。
この時の私の生活は人並みとは言い難かった。でもこんな生活を強いられている人も世の中には沢山います。私はそんな方たちの事を忘れてはいけない、と思いました。私だってきっとのど元過ぎればこれも思い出。ですから私はこの時の私の悲惨な状況をどうしても書き残しておきたかったのでした。