「立つ」ということについて深く考える機会をいただいたように思います。
フェルデンのレッスンが終わり、立つ時、
さあ好きな方に横に転がって頭をなるべく下にして立ち上がる準備をしてください。
足が床に触れていることを感じ、床の圧が足を伝っていくのを感じてください。
こんな感じでお声掛けをしていましたが、立つということを何か特別な事象としてお話したことがありませんでした。
ですが手術後に初めて床に立ったときのことは自分にとって物凄く特別な出来事だったのです。それは術後二日目のリハビリでのこと。リハ室にあるバーに両手でつかまり、初めて車椅子から立ち上がったのです。その瞬間私に起きたことは・・・
立つことに音があるとしたら今まではすっと。この時はぐぐぐっ。新しい関節の形までを体の中で感じたのです。それは刀のような形をしていました・・・。通常人は股関節を感じることが難しいのです。股関節は体の奥の方にあるものですから。ですから私はこの時股関節を感じるという普通では味わうことのない感覚を初めて味わうことが出来たわけで、その感覚は私にとって悪いものではありませんでした。
そしてその日から車椅子で動き回る生活が始まったのでした。車いすとはいえ上半身だけでも体を直立させた生活はそれまでとは全く違う生きた生活でした。
寝たきりになると顔はむくみ光が目をさして目も頭も痛くなり、部屋を薄暗くして朝から頭痛薬を処方してもらう始末。車椅子に座れれば、頭上から照らす光を受けて生活し、排泄にも自力で行き、食事も座っていただき、当たり前のことなのだろうけれど、ああ、人間の生活は起き上がってするように出来ているのだという実感があったのです。
今の車椅子は漕ぎやすく、車輪の外に自走用の車輪がもう一つついていてちょっと漕ぐとするすると進んでいきます。角を曲がるのも回転するのも簡単。車椅子を使って何かスポーツでも出来るのではないかと勘違いをしてしまうくらいに使いやすいものだったのです。
日に日に私には出来ることが増えていきました。今日靴下が履けなければ明日履ける、明日少ししか座れなければ明後日もう少し座れる、といった具合に。そして出来ることが多くなる度に術直後に感じていた新しい関節の刀のような形が薄くぼやけていくのでした。私は関節が体に馴染んでいき、痛みが薄れていく感覚を嬉しくも感じるのですが、同時に自分の股関節を感じるという感覚を失っていくことを寂しくも思い、その日々の変化を複雑な気持ちで見守るのでした・・・。