リハビリが楽しくて仕方ありません。毎日おしゃべりを交えて自分の体の新しい勉強が出来るのですから。
そもそも私がフェルデンクライスを知ったのはスイスでの怪我でリハビリを受けたことがきっかけでした。スイスのリハビリ室で他の方がどんなことをやっていたか今ではあまり記憶に残っていません。私はリハビリ師さんと一緒に密室にこもってフェルデンクライスをやっていたのですから。ですからリハビリというとどんなことをやるのか、とても楽しみにしていました。
術後一日目にもうリハビリは始まりました。正直切った傷も挿入した関節も私にはなじみのないものだったのでどう扱ったら良いのかが全くわからず、動かすのも怖くてほったらかしでただぼーっと寝ていたのです。体には沢山の管が付いたままでしたのでそれも動かない良い理由になっていたかもしれません。
そこへ入っていらしたリハビリ師さんは、私の足をそっと持ち上げて動かし始めました。動かしたらどんな感覚が起きるのかがわからず、私は知らず知らずのうちに力を入れて足を動かすまいとしていました。リハビリ師さんに力を入れないでください、と声を掛けられハッとしました。力を入れないで、という言葉は私が平素生徒さんにお声がけしていること・・・。しかし大きな手術後の事となると怖い!しばらく怖さと戦っていました。
次に頂いたのは重力に任せちゃう感じです、という言葉。そうだ、スイスでの怪我のリハビリでも最初に言われたのはこれだった、と思い起こし、ふうっと呼吸を吐いて力を開放してみると・・・足はすうっと軽く動き始めたのです、痛みも感じずに。時折私の中で、あ、そこに行くのは怖い!という感情が見え隠れはするのですが、そんな感情を押し殺すようにリハビリ師さんとおしゃべりをしていました。
気が付くと足はスルスルと動くようになってました。リハビリ師さんが今後の治療に光を持ってきてくださった気持がして本当にありがたく思いました。あの日がなければ私の足は動き出すきっかけを持てないままでいたでしょうから。
初めて立ったのは術後二日目の事。車椅子を押していただいてリハ室に移動し、体の両側を挟んだバーを掴んで自立しました。その時の感覚は今でも忘れられず貴重な体験となりました。平素感じることのない部位を感じる良い機会を頂いたからです。
その後は車椅子で過ごす生活になり、次の段階では車椅子からの移動だけを補助してもらう。その次は自力で車椅子に移動し、生活する。その次は歩行器での歩行。そして杖。と自分の能力が枕元のボードに記入されていきます。
それぞれのステップアップは自分が思う以上に慎重に決められ、もどかしさも感じるのですが、次の怪我を生まないためには絶対に必要な事をリハビリ師さんが私に変わって律してくださっているのをひしひしと感じました。
リハビリの内容は様々で、色々な小道具を使っては私の足の力を細かいところまで伸ばしていただきました。それらの小道具の中にはリハビリ師さんが手作りしたらしき魅力的なものも沢山。そんな小道具の棚を見るにつけ息子の通っていたマリアモンテッソーリ教育の幼稚園の手仕事棚を懐かしく思い出すのでした。
リハビリが順調に進んでいたある日のこと、一人のリハビリ師さんが私の足の太さを図ったのです。
すると面白いことが起きたのです。リハ開始時に計ったとき、左足は右足より2.2センチ細かったのです。が、リハを始めて3週間後の今日計ったらほとんど同じ太さになっているということなのです。右足が細くなってしまったのではないかと思い、そう尋ねたところ、いえ、左足が太くなったんです、とのことでした・・・。
私の左足はスイスでの事故以来筋肉が落ち、すっかり細ってしまい、何をやっても左右差が埋まらず困っていたのです。ですが、今回右足を怪我してそれが解決しつつあるということが判明したのです。私の怪我には色々な意味があったと思っています。が、両足が強くなるきっかけをもらっていたとは・・・。今後私が気を付けなければならないこと。
それは、次の怪我を生まないようにすること。さもないと、又左右差を埋めるためにもう一つ怪我をしなければいけませんから(笑)
退院が近づくにつれ、ここでの共同生活にお別れする一抹の寂しさと、やっと元の生活に戻れるという嬉しさとが入り混じった複雑な感情が私に訪れました。救急搬送でここの病院に受け入れていただいた私は、退院したらこことはさようなら。楽しかったリハビリももう受けられません。ですがここで私が得たことは私の中に生きていくことでしょう。そして次に私はそれを世の中に分配していく立場になるのだ、と思うと背筋がしゃんとするのでした。
ここでお世話になった全ての方々、知り合った患者さんたち皆さんに心からの感謝の意を表してこの長い長いつぶやきを終えたいと思います。