ホールの予約をし、ピアニストさんも決めたものの、その後の時間はおそろしくゆっくりと進んで行きました。一先ず、ピアニストさんに合わせをしていただいてピアノの種類を決め、その後はひたすら決めた曲を歌い続けるのみ。二年もあるのですから、飽きるほど歌い続け、しまいには曲が中に入り込み、体と一体になってしまいました。
この二年の間で一番気遣ったのは体力と気力の維持。体の経年劣化に逆らうことは勿論出来るはずもなく、日々を何事もなく平穏無事に過ごすことだけを考える毎日。淡々と過ぎ行く時をこれほど感じた二年は、後にも先にもないことでしょう・・・。
この期間の感染予防のために、コロナの時に活躍していた厳重マスクがまたまた大活躍。実はこのマスクはスケートの羽生弦選手が自分の心肺機能を高めるために使っていたものと同じ型なのです。演技をすると息が上がってしまった彼が、心肺機能を高めるために探し求めた厳重なもので、値は張りますが100回洗って使うことが出来ると言われています。たまたまそれを買い求めていた後にコロナのマスク不足がやってきて、私はマスク難民にならずに済んだのです。もう洗濯の回数は100回をとうに越えていましたが、まだまだ使えそうです。リサイタル開催を待つ2年間、どこに行くのもこのマスクが共にあり、マスクのおかげか感染症にはかからず時は過ぎて行ったのでした。
二年目を無事過ぎようとする年末の事です。夫が突然高熱を出し、年始から当番医を探すことに。どこでもらったのか、インフルにかかっていたのです。自分が病気をもらわないかと通院に付き添うのもハラハラしましたが、マスクのおかげか、幸い私には何も起こりませんでした。本番1か月前の事でした。しかし、やはりこの二年のハイライト??は、なんといっても大腿骨骨折でしょうね。なにも今起きなくても・・・、と何度運命の女神を恨んだことでしょうか。ですが、骨折のおかげで私は十分な休息が取れてリハビリも受け肉体改善もでき、むしろ元気になって退院できたのです。休息十分な私の声帯は、前より良く働いてくれるようになったのを感じました。声帯も筋肉なのだからなあ、などと痛感したものだったのです。